新潟県関川村に国指定重要文化財の豪農の館【渡邉邸】があります。
近くには温泉地が5つも存在し、温泉と合わせて訪れる人も多いことでしょう。
嫁
その渡邉邸を訪れる前に是非とも知っておきたいのがその歴史。
「いかにして豪農になったのか?」
行く前にサッと学ぶだけで、見学の楽しさが倍増すること必至です!
2020年2月
新潟県岩船郡関川村
Contents
渡邉邸へのアクセス・駐車場と基本情報
日本海東北自動車道荒川胎内ICより15分程度の行程です。
なお渡邉邸の道を挟んで目の前が関川村役場となっております。
嫁
開館時間 | 9時~16時 |
休館日 | 年末年始のみ |
入館料 | 大人600円 小中学生250円 |
電話番号 | 0254-64-1002 |
ホームページ | 渡邉邸 |
豪農【渡邉家】村上藩主の家臣だった
それでは渡邉家の歴史を、館内を見学しながらおさらいしましょう。
豪農とはいうものの、渡邉家はもとは村上藩の家臣でした。
そして江戸時代初期の1665年、家督を譲った後にこの関川の地に住み着いたそうです。
渡邉邸がある関川村は米沢街道の宿場町として栄えました。
嫁
そして渡邉家は関川で次第に存在感を増していくのです。
渡邉家「藩に融資したほどのお金持ち」
関川村は米沢街道に並行するように流れる荒川水運の重要拠点だったということもあり、渡邉家は廻船業でうんと稼いだそうです。
さらに酒造業でも成功します。
嫁
しまいには財政難に苦しんでいた米沢藩に融資するくらいの大金持ちになったのです。
その功績から、米沢藩からは勘定奉行の待遇までも受けたと言われております。
ほひょ
そしてここから大地主そして豪農へと発展していくのです。
大地主「渡邉邸」
米沢藩だけでなく他の諸藩にも融資したくらいですから、自前の資金や融資の返済金で土地をバンバン購入していきます。
なおもともと耕された開墾地の購入のみならず、新田開発も積極的に行ったそうです。
ちなみに廻船業は幕末まで、酒造業は明治初期まで続けたとのこと。
嫁
渡邉家の家訓?「贅沢は敵だ!」
興味深いのはこれだけの財力がありながら、渡邉家はド派手な生活を好まなかったこと。
暮らしは美食をせずありあわせの品で食事を済ませるなど、贅沢をせずに食べ物を大切にしたそうです。
小作米の一部を蓄えてたから、あの天保の大飢饉の時でも自力で凶作を乗り切ったんだって。
ほひょ
六三三制発祥の地
渡邉家の凄いところは他にもあります。
実は戦後日本の教育制度の先駆けとなったのです。
現在の日本の教育制度六三三制度が始まったのが昭和22年ですが、何とその1年前に渡邉家11代当主が「小中高一貫男女共学」の関谷学園を創立しました。
戦後の新しい教育構想に共感したんですね。
教員住宅建設等の資金援助も積極的に行い、この渡邉邸の座敷も教室として開放していたそうです。
嫁
最後に:細部にも目を凝らしてみよう
館内を回りながら渡邉家の歴史を紹介しましたが、渡邉家の魅力はもちろんこれだけではありません。
8種類ある隠し釘の存在や…
新潟県関川村の豪農の館【渡邉邸】館内で必ず見ておきたい5つのこと
日本最大級とも言われる石置木羽葺屋根など。
豪農の館【渡邉邸】必見!石置木羽葺屋根(いしおきこばぶきやね)
重要文化財渡邉邸にフラッと立ち寄りササッと見るのも悪くはありませんが、その歴史を知った上で見学するのとでは大違いです。
ほひょ