旧風間家住宅「丙申堂」 庄内鶴岡の豪商の館は絢爛豪華でした!

山形県鶴岡市に見事な豪商の邸宅がある!

そんな話を聞きつけて新潟から車を走らせ、山形県鶴岡市にある旧風間家住宅「丙申堂」にやってきました。

米どころ新潟には多くの豪農の館がありますが、豪商の館はそれとはまた違う雰囲気なのでしょうか?

国指定重要文化財ですからね。

とーっても楽しみ♪

2008年9月17日
山形県鶴岡市

庄内鶴岡の豪商風間家とは?

旧風間家住宅「丙申堂(へいしんどう)」の正面玄関です。

早速中へ入ってみましょうか。

入場料は?
400円の共通券で丙申堂と近くの風間家別邸「無量光苑釈迦堂」の両方を見ることが出来ます。
 旧風間家住宅「丙申堂」の別邸も見てみよう!

風間家旧別邸「無量光苑釈迦堂」から眺める庭園が美しすぎる!

 

正面玄関から入るとすぐ見える庭園。

温泉宿みたいね。

 

風間家の祖先は越後の沢海藩(そうみはん)の武士。

沢海藩とは?
新潟県の北方文化博物館の豪農伊藤邸がある付近に存在した藩。

そして新潟県の村上で商人となり、そこから酒田、鶴岡と移ってきました。

ほひょ

新潟県ゆかりの家系なんだね。

 

鶴岡に移った風間家はその後は鶴岡藩の御用商人として呉服や太物屋を営み、幕末は鶴岡第一の豪商になりました。

呉服屋と太物屋の違いって?
  • 呉服屋は絹織物を扱い…
  • 太物屋は綿織物・麻織物などの太い糸の織物を扱います。

 

 

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旧風間家住宅の珍しい屋根に注目!

二階から撮ったものです。

この建物の屋根は今では珍しい杉の皮ぶきにたくさんの石を載せた「石置屋根」なのです。

ほひょ

4万個の石があるみたいですよ。

石置といえば新潟県では渡邉邸が有名ですね。

 豪農の館渡邉邸の屋根は非常に珍しい!

豪農の館【渡邉邸】必見!石置木羽葺屋根(いしおきこばぶきやね)

 

旧風間家住宅は映画「蝉しぐれ」の舞台だった!

こちらの小座敷では、2005年の映画「蝉しぐれ」が撮影されたそうです。

多分映画を見たことのある人なら「あ、ここ!ここ!」ってなるかも。

ほひょ

残念ながら私はその映画は見たことがありません。

 

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旧風間家住宅「丙申堂」の名の由来は?

丙申堂(へいしんどう)は、明治29年の申丙(ひのえさる)の年に建てられたことからそう呼ばれております。

相当なお金持ちだったのでしょう。

 

こちらは金庫蔵

明治時代には風間家は貸金業を営んでいたそうで、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主でした。

鶴岡の産業振興にも尽力し、その一方で児童福祉などの慈善活動も行っていたということです。

大したもんだ。

 

またちょうちん入れに描かれているのが風間家の家紋です。

 

風間家住宅には大工が常駐していた?

こちらは板の間

トラス構造(三角形を単位とした構造骨組の一種)の梁(はり)と大黒柱が特徴で、これは地震対策なのだそうです。

そして右奥に目を向けると…

 

階段箪笥(かいだんたんす)があります。

 

その階段箪笥の上がこのような大工部屋になっております。

何と贅沢にも大工さんが常駐していたそうです。

 

ところどころに豪商の面影を感じた

新潟県にある豪農の館もそれは立派で、豪商も豪農も建物的にはそれほど変わらないかなという印象でした。

素人から見た印象ね。

ただ貸金業を営んでいたということもあって大きな金庫があったりと、豪商だったんだなーという感想です。

旧風間家住宅「丙申堂」、とても興味深い建物でした。

 

おまけ 聖徳太子光寿無量堂

駐車場に車をとめ、旧風間家住宅「丙申堂」の前に最初に見えてくるのがこの聖徳太子光寿無量堂

何故に聖徳太子?
江戸時代から大工職人の間で聖徳太子を大工の神として崇めていたそうです。

何度か移転を繰り返し、平成11年にここに移築再建されたそうです。

ちなみに聖徳太子がどうして建築や木工の守護神なのかは…

  • 法隆寺などの巨大木造建築に関わった
  • 中国から大工道具の差し金を持ち込んだ
  • 建築に関する様々な職業を定めた
  • 大工を集めて建築講義を開いていた

など諸説あるそうです。

 

 旧風間家住宅「丙申堂」を見学したら今度は近くの風間家別邸も見てみよう!

風間家旧別邸「無量光苑釈迦堂」から眺める庭園が美しすぎる!

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