旧風間家住宅「丙申堂」 庄内鶴岡の豪商

2008年9月17日。山形県鶴岡市にて。

 

聖徳太子光寿無量堂

駐車場に車をとめ、旧風間家住宅「丙申堂」の前に最初に見えてくるのが写真の「聖徳太子光寿無量堂」。江戸時代から大工職人の間で聖徳太子を大工の神として崇めていたそうですが、何度も移転を繰り返し、平成11年にここに移築再建されたそうです。

聖徳太子がどうして建築や木工の守護神なのかは…

・法隆寺などの巨大木造建築に関わった
・中国から大工道具の差し金を持ち込んだ
・建築に関する様々な職業を定めた
・大工を集めて建築講義を開いていた

など諸説あるそうです。

 

旧風間家住宅「丙申堂」

国指定重要文化財旧風間家住宅「丙申堂(へいしんどう)」の「正面玄関」です。今日は庄内鶴岡の豪商風間家の歴史に触れましょう。

 

正面玄関から入るとすぐ見える「庭園」です。

 

風間家の祖先は越後の沢海藩(そうみはん)の武士。新潟県の北方文化博物館の伊藤邸がある付近の出身です。そして新潟県の村上で商人となり、そこから酒田、鶴岡と移ってきました。

 

その後は鶴岡藩の御用商人として呉服や太物屋を営み、幕末は鶴岡第一の豪商になりました。余談ではありますが、呉服屋は絹織物を扱い、太物(ふともの)屋は綿織物・麻織物などの太い糸の織物を扱います。

 

二階から撮ったものです。この建物の屋根は今では珍しい杉の皮ぶきにたくさんの石を載せた「石置屋根」なのです。石置といえば新潟県では渡邉邸が有名ですね。

 

石畳の「通り」が素晴らしいです。

 

映画「蝉しぐれ」の舞台

こちらの「小座敷」では、2005年の映画「蝉しぐれ」が撮影されたそうです。残念ながら私はその映画は見たことがありません。

 

こちらは先ほどの「庭園」とはまた別のもの。

 

 

金庫蔵」です。明治時代には風間家は貸金業を営んでいたそうで、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主でした。鶴岡の産業振興にも尽力し、その一方で児童福祉などの慈善活動も行っていたということです。

 

写真は「板の間」。トラス構造(三角形を単位とした構造骨組の一種)の梁(はり)と大黒柱が特徴で、これは地震対策なのだそうです。そして右の奥に「階段箪笥(たんす)」がありますが…

 

こちらがその「階段箪笥」の様子。

 

その階段箪笥の上が写真の「大工部屋」です。贅沢にも何と大工さんが常駐していたそうです。

 

ちょうちん入れに描かれているのが風間家の家紋です。

 

またこの「丙申堂(へいしんどう)」の名前の由来ですが、丙申(ひのえさる)の年に建てられたことから来ています。

旧風間家住宅「丙申堂」、とても興味深い建物でした。

以下のバナーをポチッとしていただけると嬉しいです♪ にほんブログ村 アウトドアブログへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です