新潟市にある新潟縣護國神社は、隣接する結婚式場「迎賓館TOKIWA」があることでも有名な場所。
嫁
ところがです。
…答えられない新潟県民も少なくないのではないでしょうか。
- 新潟縣護國神社の御祭神とは何か
- そしてそれに大きく関わる慰霊碑とは一体何なのか
これらについての記事です。
2019年2月23日
新潟県新潟市
新潟縣護國神社へのアクセスと駐車場
北陸自動車道新潟西ICを下りて新潟バイパスに入り、女池ICを下りて直進しそこからは住宅街の中を走るルートがいいと思います。
そして多くの人は護国神社の手水舎がある駐車場に車をとめて参拝しますが、オススメはここではなく一の鳥居が見える駐車場です。
ただここから参道を歩いて行くのは若干時間がかかります。
それなのに何故オススメなのかと言うと、ここに来たら絶対に見逃せない慰霊碑が参道脇に多数あるからなのです(詳しく後述します)。
なおこの駐車場はシーフードダイニング【ミューズ】の手前にあるT字路に面しております。
多くの慰霊碑が並ぶ新潟縣護國神社
そう思われる方もいらっしゃることでしょうね。
その前にまずは新潟縣護國神社とは一体どういう神社なのかに注目してみましょう。
もっと簡単に言えば、日本国の為に戦争で命を捧げた若者たちが祀られている場所、とでもいいましょうか。
嫁
慰霊碑の前には手を合わさずにはいられない
参道の最初には、戊辰役殉難者墓苑があります。
そこには東西両軍関係なく、日本という国のために命を捧げた戦士たちの慰霊碑を見ることが出来ます。
嫁
こちらは満州開拓殉難者の碑。
ソ連軍に追われた満州開拓民は、銃弾や病・飢餓・酷寒で次々と命を落としていったのですね。
こちらはシベリアに抑留された新潟県出身者166人の慰霊碑。
私の知り合いでもシベリア抑留者がいました。
しかしシベリアでの出来事は家族にすら一切話すことはなかったそうです。
想像をはるかに越えた過酷さだったのでしょう。
そして慰霊碑は続きます。
ひとつひとつに手を合わせていきます。
戦争で多くの若者が兵隊として戦地に赴き、そして死んでいったという現実を目の当たりにして思うのは…
「やりたいこともたくさんあったでしょう、愛する家族がいたでしょう。」
それでもお国の為にと、遠い異国の地で戦死したのです。
そして戦争で亡くなった軍犬の霊も祀ってました。
それから軍馬も。
これを戦争賛美だなんてとんでもないです。
戦争というのは本当に酷いものなんだと、ここに来るとそう思います。
兵士の皆さん、安らかにお眠りください。
そして最後はこの「平和の礎」です。
第二次大戦で亡くなった新潟県関係の戦災者の霊を慰めるために建てられたものです。
ほひょ
新しく造営された神門から拝殿へ
多くの慰霊碑に手を合わせ、参道を抜けると大きな駐車場に出ます。
こちらは2018年6月に撮影したものですが…
2019年2月現在の神門はこのような立派なものとなってました。
こちらは拝殿から見た神門です。
…素晴らしい拝殿です。
2礼2拍手1礼で参拝しましょう。
新潟縣護國神社の御朱印は4種類
せっかくですので御朱印を頂きに社務所に行きましょう。
「不易流行」とありますね。
実はこの言葉は選択制でして、
伝統未来 | 敬神崇祖 |
温故知新 | 不易流行 |
の4つの中から好きなものを決めるのです。
ちなみにこの「不易流行」の意味は、「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しい変化を取り入れていくこと」だそうです。
ほひょ
最後に
この神社に参拝すると、他の神社に比べても身の引き締まる思いです。
普通の神社なら天照大御神や大国主神といった神様が祀られていますが、この新潟縣護國神社に祀られているのは国家の大事に一身を捧げて亡くなられた方々。
拝殿にお参りするだけでなく、この神社に訪れたら是非参道の両脇にある慰霊碑の前でひとつひとつ手をあわせたいものです。
国の平安を守ってくださった御英霊に対し、今現在の平和と繁栄を感謝申し上げます。