若き日の上杉景勝と直江兼続が学んだお寺 「雲洞庵」の土踏んだか 

2009年4月19日。 新潟県南魚沼市。

本日のメインとも言うべき「雲洞庵(うんとうあん)」にやってきました。いくら大河ドラマで脚光を浴びてるとはいえ平日だから大して観光客もいないだろうと高をくくっていたら… 駐車場は観光バスが5台くらいと一般客の車でいっぱいでした。

 

雲洞庵の土踏んだか

受付で入館料を支払い、「黒門」を抜け…

 

赤門」を抜けていきます。ちなみに「赤門」は昔より通常は開かずの門であり、皇室や大名などの来訪や寺の特別行事のみ開閉していたそうです。

 

「赤門」から「本堂」に至る「石畳」。「石畳」の下に法華経を一石一字ずつ刻み、その経石を敷き詰めた有難い参道なのです。

 

これが「雲洞庵の土踏んだか」と言われるゆえんなのですね。

 

佛舎利塔」。

 

鐘楼堂」と「客殿」です。

 

「客殿」の一階です。

 

これは二階部分です。

 

観音堂」。そこには…

 

写真の「百体観音」が安置されています。ちょっと怖い…

 

「観音堂」の奥にある「座禅堂」です。

 

 

 

長生きの水」。「金城山」から湧き出る霊泉で病に苦しむ多くの人が救われたそうです。

 

喜平次と与六の学びの場

ここ「雲洞庵」で若き日の「上杉景勝公」と「直江兼続公」が学びました。戦国時代の武将としては教養が高く、ほとんどの戦国武将がひらがなしか書けなかったのに対して、物書きの専門家などを必要とせず達筆であったそうです。

 

姥子様(うばごさま)」。女人成仏で歯痛を治すと信仰されています。

 

 

雲洞庵の歴史

「雲洞庵」は1300年も昔の717年(養老元年)、藤原氏ゆかりの尼寺として開かれました。とても古い歴史があります。

 

藤原家の尼僧院として栄えた「雲洞庵」も、鎌倉から室町時代にかけて武士が台頭してくると藤原家からの援助も途絶え、荒れてしまったそうです。

 

しかし上杉家により再興され、戦国時代には「上杉謙信公」によって多くの庇護をあたえられたそうです。

 

11時30分頃から見始めたのですが、12時を過ぎた辺りから観光客が急にいなくなり、ゆっくりと見ることが出来ました。

 

それにしても大河ドラマ「天地人」の影響力はすごいですね。

 

 

境内に写真の犬がいました。こちらで飼っている犬でしょうか。とてもかわいいです♪

以下のバナーをポチッとしていただけると嬉しいです♪ にほんブログ村 アウトドアブログへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です