源義経・上杉謙信・酒天童子ゆかりの越後最古の古刹 国上山国上寺

2009年5月24日。新潟県燕市。

国上山(くがみやま)」にある「国上寺(こくじょうじ)」にやってきました。同じ漢字ですが読み方が異なります。国上山は弥彦山の隣の山で、かつてあの聖徳太子も登ったと伝わっているそうです。

和銅2年(709)に、彌彦神社の御祭神「天香山命(あめのかぐやまのみこと)」のお告げで建立された、越後最古の古刹(こさつ)です。古刹とは由緒ある古いお寺のことですね。

写真は「ぼけ封じのお地蔵さま」。まだ「ぼけ」にはまだ早いですが、お参りしました。そして本堂に向かいます。

 

本堂

本堂(阿弥陀堂)」です。30年かけて享保3年(1718)に再建されたものだそうです。御本尊は「阿弥陀如来」です。

 

源義経ゆかりの六角堂

右写真は「六角堂」。

ここ「国上寺」は、源頼朝に追われた弟義経が奥州に落ちのびる途中に参詣したお寺としても有名です。「六角堂」には義経がその際に寄進した「大黒天木像」が祀られています。

 

良寛様」の像。そして「大師堂(御仮堂)」です。

大師堂は「本堂(阿弥陀堂)」を再建する間、本尊を一時遷座(せんざ)するために建てられたもの。今は弘法大師像が安置されています。

 

左写真は「弘法大師五鈷掛の松」。五鈷(ごこ)とは金剛杵(こんごうしょ)の一種で、両端が五個の股から成っているものです。

弘法大師が中国より帰国の途中、船中から三鈷と五鈷を投げられました。三鈷は高野山の松にかかり、五鈷がここ国上山のこの松にかかったそうです。

こうして国上寺が「天台宗」から「真言宗道場」になったという伝説があります。

また右写真には鳥居がありますが、「国上山」の登山口。登山といっても低い山なのでお散歩コースのようなものです。

 

親鸞聖人追い返しの門

左写真は「四国八十八箇所石塔」。国上寺を中心に西参道から東参道にあった石塔を、昭和44年に遷座したのだそうです。

右写真は「追い返しの門」。親鸞聖人が越後に流された時、国上寺の一切経蔵にある大蔵経(だいぞうきょう)を読みにここへ来ました。ちなみに大蔵経とは仏教聖典を総集したものです。

ところが国上寺は新潟県内の真言宗寺院の中でも格式の高い寺。「お前の来るところではない」と親鸞聖人を追い返したそうです。それから「追い返しの門」と呼ばれるようになったとか。

 

左写真が「童水子地蔵尊(わらべみずこじぞうそん)」です。水子供養でも「国上寺」は有名です。

右写真は「幸せ観音」。観音様を時計回りに三回まわると幸せになれるとか。

 

左写真は「雷神縛石(らいじんしばりいし)」です。

 

謙信公ゆかりの寺院

ここ「国上寺」は「上杉謙信公」ゆかりのお寺でもあるそうです。十万石の格式を下賜(かし)されたのだとか。そんなわけで「天地人」ブームにのって旗がたくさんはためいていました。

 

新潟県は「彌彦神社」が越後一の宮として有名ですが、彌彦神社に来たらこの「国上寺」も訪れてみてはいかがでしょうか。

 

酒天童子出生伝説

写真は「鏡井戸」。越後の「酒呑童子」出生伝説が有名です。

千年前に、「外道丸」という絶世の美男子が「国上寺」に預けられました。乱暴がひどかったことが預けられた原因です。

「外道丸」は国上寺で熱心に修行に励んだのですが、その美しさから多くの恋文が来たそうです。

そんな色男の「外道丸」は恋文を読まずに焼いたそうです。私なら全部舐めるように読んでニンマリするかも。

ある日、想いを伝えられなかった一人の娘が焦がれ死しました。その女の恋心が煙となり、「外道丸」はその恋文を焼いて出た煙にまかれ気絶したそうです。

しばらくして「外道丸」は顔の異常に気づき、この井戸をのぞくと鬼の面に変わった自分がいたのです。「酒呑童子」になったのです。

女性の怨念は恐ろしい… あ、これって男女差別になるのでしょうか。

以下のバナーをポチッとしていただけると嬉しいです♪ にほんブログ村 アウトドアブログへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です